財団法人 原田記念財団を設立するに当たって

(葉隠のこころ・風雪八十五年 原田龍平より)

 私は予てから、人としての使命感と責任感に基づき、誠実にこの経済社会を生き抜くことに専念してきた。そこには、常に『個と全体、全体と個』の関係において、人類が如何に森羅万象と調節し、如何に調和を保ちながら、人類の幸福増進に寄与することができるかを追求してきた。

 私の“考え方” “生き方”の物心両面の帰結は、現在の政治、経済社会において、人類がかつて 経験したことのない諸問題(環境、食糧、人口、エネルギー等々)の解決に必要な、人類が生きる ことへの普遍的な価値観の確立にある。目先の利益に捉われ、多様化した価値観が真に人類の幸福増進に役立つかどうかを問いかけつつ、私は自ら切り拓いてきた人生の中から、「広い視野と洞察力のもと、真に生きるための糧として、少しでも役立つこと」を願って昭和56年3月27日、財団法人『原田記念財団』を設立したのである。設立趣意書には次のことを述べた。

設立趣意書

 私は、昭和24年9月 株式会社酉島製作所に入社以来、「人類社会において液体と人生とは密接不可分の関係にあり、その液体を扱うポンプは人類社会の発展に必要欠くべからざるものである」との理念のもとに常にポンプの高級化、多様化に挑戦し、わが国ポンプ産業の発展と国際的競争力の充実につとめてきました。

 わが国のポンプ産業は、いまや欧米先進国の域に達しているものの、学問的、技術的になお未解決の問題も少なくなく、また、人類は戦後の技術革新に支えられて、かって経験したことのない高度な物質文明の恩恵に浴しておりますが、一方において環境破壊、石油・食料などの資源涸渇等重大な危機に見舞われており、これを解決するためにもポンプ産業に課される社会的使命は益々重大となってきております。

 私は、かねてより、人間が森羅万象といかに調節し、いかに調和を保っていくかが、極めて重要であり、この叡知なくして人類社会の永遠の平和と発展は期しえないことを痛感しております。

 ここに、ポンプ産業に関係の深い水力学、流体力学、流体機械等自然科学の分野における学術の研究とその応用に従事している個人、又は団体に対し援助助成を行なうとともに、ともすれば物に偏し、心を失いがちな世相に鑑み、次の新しい時代を担う前途有為の青少年に対して援助助成を行ない、もって国家、社会の発展、人類の幸福に資せんことを願い、私財を提供して本財団の設立を決意したものであります。

 昭和56年2月

財団法人 原田記念財団
                           設立代表者 原 田 龍 平

 今後、この財団がいささかなりとも、人類の幸福増進の道標となり、また、一人でも多くの人が私の思想を継承し、共有化されることを念願するものである。

 ここで、財団設立を決意するに至った、私の思想と理念を述べておきたい。

 私の人間形成に大きな影響を与えたものは、葉隠精神の真髄を伝える佐賀県・鍋島本藩の直轄地に生まれ、信仰に厚い家庭で両親から仏教的(浄土真宗)、儒教的倫理と神佛崇敬の念を峻厳 に訓育された生い立ち、そして、学校では常に良き師に恵まれ、延いては参禅の心で軍隊生活を過ごし、さらには長年勤務した台湾銀行における切磋琢磨、ならびに上司の薫陶によるものと思っている。

 私は、酉島製作所に入社して、戦後の混乱した思想と人心に鑑み、全体と個、個と全体との関係において、人間一人ひとりが真に果たすべき責任感と使命感により、如何に行動し、如何に生きるかを示すため、昭和31年1月以来、従業員の誕生日には毎年、記念品と次の言葉を誕生カードにして贈っている。

 『この佳き日に貴殿は御先祖を偲び、自己を真に見つめ、自己、子孫、並びに大和民族、延いては人類社会の正しき発展と繁栄に思いを及ぼし、御健康に御留意の上、会社発展のためにも一層の御頑張りをお願いいたします』

 私のこのような考え方は、人類の歴史的発展の過程がいつの時代においても、人間が森羅万象と如何に調節し、如何に調和を保つか、神の摂理に従いながら、如何に人類の幸福増進に貢献してきたかにあり、「トリシマ」を通じ、真に「価値ある人間」としての自覚と行動を期待しているからである。

 私は学閥、財閥、閏閥などの派閥的行為を一切否定し、常に”何が出来るか”を自問し、かつ実行と反省を繰り返し、自らの道を切り拓いてきた。そして、その生き方の中に、時間以外何ものにも拘束されず、普遍的な価値観を求め、生きることの中に人類社会の永遠の平和と発展を願い、戦前は南方に、戦後はトリシマに夫々、人生の燃える情熱を捧げてきたのである。

 とりわけ、酉島製作所にあって、ポンプ産業の発展を通じ、文明の進歩、人類社会の高福祉に寄与するという使命感は、「トリシマ」を世界一流にすることであり、また、絶えざる技術革新に挑戦し、ポンプに関する学術的研究を実証することであり、変化する社会的要請に対応して高級技術のポンプを供給することでもある。

 昭和54年8月、酉島製作所は創業60周年を迎え、残された20世紀の最後の20年、さらには21世紀 を展望し、新しいトリシマづくりにスタートしたが、創業60周年を期して建設した新社屋の定礎には、

 『人類と液体と「ポンプ」は人類生活に不可欠重要なる関連あるに鑑み、「ポンプ」の高級化、多様化に挑戦し、ポンプ産業を通じ社会文化向上発展に寄与し度く、ポンプ産業の殿堂たらん事を祈念し会社創立60周年を記念し本社社屋を建設す』

と銘記した。

 それは、酉島製作所が常にポンプ産業の発展向上を通じ、個を越え、国を超えて人類の叡智を集めて、人のため、世のため、国のために責任を果たすことを願ってのことからである。しかし、ポンプ産業のベースとなる“ポンプ”それ自体について、現在、我が国のポンプ産業が世界的水準に近づきつつあることを認めるも、“ポンプに関する学問的未解決の部分が多く、なお今後の学術的研究、開発をまたなければならない諸問題が山積しており、この研究、開発なくして、新しい時代のニーズに対応することはできない。

 私は、これまで社員に対して折りに触れて説いてきたことは『貸しは作っても、借りは作るな』である。「共存の社会に生存する以上、人間誰しも世の中には“目に見えない借り”ができる。その見えない借りを一生かかってもお返しするという“奉仕の精神”が必要である」と強調してきた。

 私は、『経済行為の究極は寄付行為にあり』また、『子孫のために美田を残さず』との信念のもとに過ごしてきたので、ここに私財を提供し、私が生まれ、その青少年時代に育んでくれた郷土・佐賀県を中心に、九州各県のポンプ産業に関係の深い、水力学、流体力学、流体機械等、自然科学の分野における学術研究、応用に従事している個人や団体、さらには、次の時代を担う青少年の健全育成のために奨学資金を助成援助し、いささかの経済的援助を行なう目的で財団の設立を決意したのである。

 私は、この財団が目的としているところ、すなわち、究極的には人類の幸福増進に貢献することであるが、この目的を果たすために不可欠な私の考え方、生き方がそこに継承され、共有化されて一歩一歩着実に実を結ぶことを願っている。

 財団の事業目的は前述の設立趣意書に述べているとおりであるが、この財団の運営資金として、 私が所有する酉島製作所の株式、143万株(時価約14億円)と現金1千万円也を基本財産として、また、現金50万円を運用財産として寄付することにしたのである。

 この財団を円滑に運営していくために、次の方々にその運営をお願いすることになった。

 【役 員】
理事長  原田龍平(酉島製作所社長)
専務理事 原田耕治(酉島製作所専務取締役)
理事   香月熊雄(佐賀県知事)
     香月義人(佐賀銀行会長)
     宮崎吉次(佐賀県・塩田町長)
     世古口言彦(九州大学工学部教授)
監事   有働博明(公認会計士)  江頭幸人 (弁護士)

【評議員】
髙松康生(九州大学工学部教授)  楠田久男(佐賀大学理工学部長)
白本和晟(熊本大学工学部教授)  真武友一(長崎大学工学部長)
井本勇(佐賀県総務部長)     立松彰(酉島製作所監査役)
岩田凡夫(酉島製作所経理部長)

(注)役員、評議員の役職はすべて昭和56年3月時点のもの (敬称略)

 同年5月19日、ホテル ニューオータニ佐賀において、第一回総会を開催し、香月熊雄理事(佐賀県知事)より次のとおり祝辞を頂いた。

 本日、ここに財団法人 原田記念財団が目出度く創立の運びとなりましたことに際し、一言お祝いの言葉を申し上げます。

 わが国ポンプ産業の専業トップメーカーである株式会社酉島製作所・原田龍平社長さんが、この度、ポンプ産業に関係の深い、水力学、流体力学、流体機械など、自然科学の分野における研究者に対し、援助、助成するとともに、ともすれば物に偏し、心を失いがちな世相に鑑み、次の新しい時代を担う前途有為な青少年に対して、育成資金の援助、助成を行ない、もって国家社会の発展と人類の幸福に役立てるため、時価10数億円に当たる巨額の私財を提供されて「原田記念財団」を創立されますことに対し、その崇高な精神と奇特な御行為に対し、心から敬意を表しますとともに、深く感謝を申し上げる次第でございます。

 皆様も既に御承知のとおり、原田社長さんは本県塩田町の御出身であり、戦前は台湾銀行、南方開発金庫で御活躍されておられましたが、昭和24年、卓越した経営手腕と識見をかわれて、当時、経営不振に陥っていた酉島製作所の再建のために迎えられるや、「金銭の赤字は出しても、信用の赤字は出すな」という名言からもうかがわれますように、ことのほか企業の信用を重視され、優れた先見性をもって、技術の開発、人材の育成に努められ、ポンプが人類文化に果たす社会的責任感のもとに、卓越した経営力により見事に再建され、専業トップメーカーに育て上げられたのであります。

 絶ゆみない技術開発から生まれた同社の大型、高級ポンプは全国各地の上・下水道、発電所、農業水利や洪水調節の機械装置の心臓部として活躍しており、さらには中近東、中国等、海外に輸出されて、その性能は高く評価されております。県内各地の排水機場や上・下水道などにも数多く設置され、県民生活に大いに威力を発揮しているわけであります。原田社長さんは、日本機械工業連合会常任理事、関西経済連合会理事など、実業界各種団体の要職につかれておられますが、郷土佐賀県のためにも、かねて多大の御尽力、御協力を賜っております。本県出身者のために、佐賀県関西寮の建設に多大の御尽力をいただき、また、昭和36年から8年間、関西佐賀県人会の会長として、その後、現在も顧問として県出身後輩のお世話をいただいております。

 私は、豊かで住みよい郷土建設の一環として、企業の誘致を図っておりますが、昭和52年からは企業誘致推進員をお引受いただき、本県への優良企業の誘致につきましても大変御苦労をいただいており、また、かねてから佐賀大学への図書の寄贈や、地元市・町に対する御援助なども賜り、郷土のため多大の御貢献をいただいております。

 原田社長さんは、社会発展のため私財を提供されることも度々で、三たび紺綬褒章を受章されるほか、昭和47年には産業振興に貢献された数々の功績により、勲三等瑞宝章受章の栄に浴される等、県民が敬愛する偉大な人であります。

 資源に恵まれていないわが国が発展していくには、科学技術の振興が一層重視されてきており、また、新しい時代を担う青少年育成の大切さが叫ばれている今日、原田記念財団の創立は、まことに時宜を得た快挙であり、財団の今後ご活躍を心から期待いたすものであります。

 原田記念財団の創立に当たり、この財団が大きな成果を上げられますとともに、原田社長さんのますますの御健勝と御発展をお祈りいたしまして、祝辞といたします。

 昭和56年5月19日

佐賀県知事 香月熊雄

 

 

 

昭和61年11月23日 生家(財団法人原田記念財団生誕の地)の前で、しみじみと“風雪八十五年”わが人生を振りかえられる 故原田龍平初代理事長

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       “風雪八十五年”わが人生を振りかえられる 故原田龍平初代理事長